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「Maison MIHARA YASUHIRO」デザイナー・三原康裕 ファッション、そして狂気を語る。

デザイナー・三原康裕ファッション、そして狂気を語る。


2020.10.30

大きくうねるようなファッションカルチャーの興隆が巻き起こった90年代の原宿。同時多発的に才能溢れるクリエイターたちが頭角を現す中でも、特に独創的な存在感を放っていたのは「Maison MIHARA YASUHIRO」デザイナー・三原康裕さんでした。1996年にシューズデザイナーとしてデビューして以降、現在に至るまで、常にファッションシーンに新たな刺激を与えながら、世界から熱い視線を集め続けています。

表参道ヒルズに旗艦店「Maison MIHARA YASUHIRO」を構える彼が、2020年という節目に、クリエイションの根底にある哲学、そしてファッションの未来について語りました。

表参道ヒルズに構える旗艦店「Maison MIHARA YASUHIRO」

プロフィール

三原 康裕(みはら やすひろ)
1972年長崎生まれ。多摩美術大学在学中に独学で靴をつくりはじめ、1996年に「Maison MIHARA YASUHIRO」の前身となる「archidoom」を立ち上げる。1998年に初の直営店「SOSU MIHARAYASUHIRO」を青山にオープンし、翌99年に有限会社SOSUを設立。2010年、旗艦店を表参道ヒルズに移転させ「Maison MIHARA YASUHIRO」としてオープン。

---- まずはキャリアのルーツから。上京のきっかけは?

三原 : 当時二十歳の僕は美大受験で二浪してしまい地元の福岡で暮らしていこうかと思っていたのですが、両親に「福岡におってもムーブメントは生まれんけんね」と半ば追い出されたんです(笑)。ずっと福岡で油絵を描いていた母は、自分自身が美輪明宏さん、三島由紀夫さん、寺山修司さんなどが牽引する東京の若いエネルギーの渦に参加できなかったことを悔いていたんだと思います。それで後押ししてくれたんでしょうね。93年頃に多摩美術大学に合格して東京に出てきました。

---- その後、なぜ「靴づくり」の道へ?

三原 : 小さい頃からアートと関わりながら生きている中で「芸術と人を調和させたい」という使命感がいつの間にか生まれていたんです。子どもの頃のトラウマとまではいかないけれど、美術館の絵に触ろうとすると怒られるじゃないですか。ちっとも楽しくないんですよね。当時の「なんでこんなもの飾って並べてるんだ?」って感覚が自分の中にどこか残っていて。美大を志した理由も芸術崇拝では一切なく、そういった体制を壊したいと思っていたからでした。それで22歳の時に「身につける芸術」をつくろうと。象徴的なアイコンとして選んだのが「靴」でした。これがやってみたら面白かったんですよね。

Maison MIHARA YASUHIRO 2021S/Sコレクション

---- アートとファッションの中間地点。

三原 : 僕からするとアートとファッションの境界線って実はなくて。芸術家のマルセル・デュシャンのように、買ってきた便器を逆さまに置いて、これはアートだと言い張ってもいい。人に何かを考えさせる問題提起が重要で、アートかファッションかはどちらでもいい。...って、こんな考え方だから、僕の作るものは分かりにくいみたいですね(笑)。「どういうコンセプトですか?」って聞かれるけど、それを考えてもらうのが目的だから、あまり答えないです。

---- 過去のインタビューで「ファッションデザイナー」と呼ばれる「ファッションアーティスト」は多いというお話もされていました。

三原 : アートが問題提起をするものである一方、問題解決の方法を示すのがデザイン。その定義でたとえば川久保玲さんや山本耀司さんを思い浮かべたとき、「デザイナー」って言葉が当てはまるか疑問に思うんですよ。僕らみたいな職業の人間ってエゴイストで、世の中を良くする人々ってよりか、世の中を混乱させる人々だから(笑)。川久保さんなんかエレベーターに乗れないぐらい大きい服を作ったりするわけじゃないですか。実用的ではないけど素晴らしい。芸術家ですよね。でも「芸術家」って言われるのも照れるから、みんな「デザイナー」って言葉を受け入れてるんじゃないかな。

---- 20年以上にわたりこの世界でご活躍されていますが、新しく出てきている日本のファッションデザイナーをどのようにご覧になっていますか?

三原 : 最近のファッションの学校では「消費者が求めているものをデザインしなさい」って教えることもあるみたいで、さっきの定義でいう「デザイナー」が増えていると感じますね。逆に、独自の哲学と概念で勝負する「アーティスト」はもう絶滅危惧種かもしれません。僕がブランドを始めた90年代は、求められていることなんか考えずリスクを負って狂気的なチャレンジをする人ばかりだったので、少し寂しく感じます。

---- コロナの影響で、ファッションはどう変わるとお考えでしょうか。

三原 : 歴史的に世の中の価値観が不安定になるほどファッションは活性化されます。僕らも、バブルの崩壊と共に様々な固定概念がひっくり返るのをリアルタイムで体験した世代だから、何かを破壊するようなクリエイションを次々と生んだと思います。コロナでも様々な価値観が変わっている最中ですので、また狂気的なチャレンジも増えるのではないでしょうか。「サスティナブル」というビッグワードを多くのブランドが掲げていますが、僕はファッションの本質は「狂気」だと思っているので、道徳とは別のベクトルの何かが生まれることも期待したいですね。

---- 一方で、最新のコレクションでは素材の全てが土に還るサスティナブルなシューズも展開されています。

三原 : 鋭い気づきですね(笑)。もちろん僕らも「サスティナブル」には賛成。極端に言えば、人類や環境が崩壊したら狂気も表現できませんから。パフォーマンスでなく本気でサスティナブルに取り組みながらも、アート、ファッションの狂気を表現することも譲らないという姿勢です。

---- 最後に、旗艦店を構える表参道ヒルズ、そして表参道という街に対する想いを教えてください。

三原 : 僕は学生時代から原宿で活躍する多くの方々に自分の靴を見てもらいながら、この街でブランドを立ち上げました。実は「MIHARA YASUHIRO」というブランド名も、現在ユナイテッドアローズ上級顧問の栗野宏文さんに「世界で勝負する気があるなら日本人らしく苗字から名乗っては」とアドバイスされて決まったんですよ。本人は忘れているかもしれませんが(笑)。

旗艦店を表参道ヒルズに移してみようと思ったのは、2010年当時、表参道沿いにルイ・ヴィトンができたりと海外ブランドばかりになっていて、日本のブランドの存在感が弱くなっていたから。意地を張ってでも表参道沿いに店を出さないといけないと思いました。表参道ヒルズの前身の同潤会アパートにも多くの思い出がありましたが、今は表参道ヒルズにも愛着が沸いています。僕が昔と変わらず原宿でチャレンジし続けることが、東京のファッションの中心地を守ることに繋がったら嬉しいなと思います。

文=ニッセン シュウ(Shu Nissen)
撮影=藤村全輝(Masaki Fujimura)
編集=OMOHARAREAL

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